二重まぶた整形に踏み切るまでの葛藤。幼少期からコンプレックスの塊だった自分が、綺麗になりたい!と、相当な勇気を振りしぼって決めたのが、二重まぶたの整形手術でした。
2012年4月、幼少期に『魔人ぶう』と呼ばれた私はついに二重まぶた整形手術を受けた。それは抱え込んだコンプレックスから抜け出す為の大きな一歩だった。 分厚い一重まぶたを二重まぶたに美容整形手術を行った日から2年の月日が経った。
結婚はしているが、夫にも親にも内緒で二重まぶたの整形手術を決断。バレるんじゃないかってすごい怖かったけど、なんとなんとか、乗り越えました。
幼少期から抱いていたコンプレックス、急激なダイエット、へそ整形の失敗、それでも諦めきれず、二重まぶた整形手術への挑戦の過程です。
長文です。
幼少期に経験した『いじめとコンプレックス』
物心ついた時から、顔と身体はまん丸だった。そして、分厚い一重まぶた。お世辞にも可愛いとは言えなかった。 家族だけに囲まれているうちは問題なかったその容姿も、小学校にあがる頃にはクラスメイトにからかわれる対象となった。容姿について馬鹿にされたり、からかわれたりしたのは小学校だけではなかった。
英語塾でのいじめにあった
小学校低学年の時に通い始めた英語塾。
通い始めたばかりで英語はわからない。だが、簡単な英単語『gorilla(ゴリラ)』は聞こえた。子供だから、ただ面白がっているという風に、わたしを指をさしながら『gorilla(ゴリラ)』といった。
小学校で太っていることや容姿を馬鹿にされるだけでなく、塾のクラスメイトに『gorilla(ゴリラ)』と言って笑われた。それだけでも悲しかったのに、子供だった私とって1番辛かったことは、外国人の先生までも子供たちと一緒になって笑っていたことだった。 いたたまれなくなった。すごく悲しかった。
今までにない程に深く傷ついた。
当時、おかあさんに『もう英語塾に行きたくない』と言った。それ以来英語塾に通うことはなかったが、いじめられた辛い記憶は消えることはなかった。
また、塾でいじめにあった
小学校高学年になり受験勉強のため塾に通った。 そこでもやはりクラスメイトに容姿についてからかわれた。小学校高学年になっても相変わらずまん丸の顔と身体だった。
その上、相変わらずの分厚い一重まぶた。 そこで名付けられたあだ名が『魔人ぶう』。 当時、ドラゴンボールが流行っていた。私だって魔人ぶうがどんな外見がよく知っていた。つらいあだ名だった。
こうして、太っていることへのコンプレックスや劣等感は日に日に増していった。 そして、中学校を受験し私立へ進学することになる。今までと違う環境にわくわくした。もう男子からいじめられることもないという安堵感もあった。
その安堵感は、裏切られることになる。
『いじめとコンプレックス』を乗越えるための急激なダイエット
私立の女子中学校に入学した。自分の容姿に関する疑問がだんだんと大きくなっていった。
『なぜわたしはこんなに太っていて、醜いの?』
女子中学校では、『無視』といういじめが始まった。5~6人のグループの中で『次は誰が無視されるか?』そんなことが繰り返された。グループから抜け出す勇気もなかった。1人になることも、とても怖かった。
いじめる子の多くは、容姿に自信を持っているようだった。
そこで、思った。
『いじめの標的にならないためには、痩せること、可愛くなることが必要だ』
いじめの本当の理由なんてわからない。容姿のせいではなかったのかもしれない。ただ、年頃の女子中学生がおもしろがってやっていたことなのかもしれない。
でも、本当のいじめの理由なんて関係ない。すでに充分すぎるほど深く傷ついていた。
痩せることを決意した。
人は容姿で変わる。絶対に。
太っていることのコンプレックスから脱したい、いじめの連鎖から抜け出したい、一心で体重55キロから47キロまで痩せた。数ヶ月で8キロの体重を落とす減量ダイエットに成功した。
ダイエットの方法は、1日1食朝食のみの食事制限。昼食と夕食の2食はプロテインに置き換えるプロテインダイエット。いま考えると極端な食事制限方法だった。学校で食べる昼食を、ダイエットシェイクで終わらすこともあった。そして、体重を減らすことに成功した。大幅な減量に周囲のクラスメイトも驚いた。
プロテインダイエットは、母からの勧めだった。勧めといっていいかわからないけど、母はダイエット魔で、年中ダイエットしていた。
太っている私をみて、かわいそうって思ったんじゃない?
ダイエットしたい、という私に
成長期だからやめなさい、という言葉は一言もなかったな。
なにより、年頃の女の子にとって『ダイエットで成功すること』はある種の羨望の対象となった。
今まで話しかけてこなかったクラスメイトが話しかけてくる様になった。グループいじめの標的にもされなくなった。
『やっぱり人は容姿で変わる』
わたしはそう確信した。
急激なダイエットが引き起こした更なるコンプレックス
しかし、急激なダイエットをした代償に背負ったものがあった。
それは、肉割れ線とダイエットをしてもなお残ったたるんだお腹のお肉。
お腹には上下に2本線がくっきりとした段々のお腹になった。運動をそこそこに、主に食事制限で行ったダイエットでは、お腹の肉はなくならず、たるんだだけだった。
そして、特にわたしが嫌だったのが、横にのびきったヘソだった。元々この横にのびたヘソが大嫌いだった。ダイエットをすれば、お腹の肉も減ってヘソは縦になると思っていた。そううまくはいかなかった。
減量をしても、ヘソは横にのびきったままだった。まだ中学生にして、中年のおばさんのようなお腹になった。せっかく痩せたのに、ビキニも着られない。
思春期には辛かった。
また1つコンプレックスが増えた。
人は容姿で変わる。
人は見た目が9割。なんて、本あったよね。
その通り。
ダイエットをしても変わらなかったコンプレックス
体重を55kgから47gkまで落とし、大幅な減量に成功したが、横にのびきったおへそ、そして、肉割れ線というコンプレックスを背負い込むことになった。
ただダイエットで一つ学んだことはある。
『容姿、外見で、人の接し方が変わる』ということだ。
痩せた方が、かわいい方が、人は優しい、それを実感した。
『いじめられないためには、痩せて、もっと可愛くなる』
かわいくなりたい。そう思った時に、分厚い一重まぶたのコンプレックスがとても邪魔だった。おかあさんもお姉ちゃんも二重まぶたなのに、なんでわたしだけ一重まぶた。ダイエットをして体重を減らせば、もしかしたら二重まぶたになるかもしれない!と小さな期待をしていた。でも、体重が減っても、一重まぶたが二重になることはなかった。
いじめによって傷ついた自信を回復するには、可愛くなりたかった。
可愛くなるために、二重まぶたになりたい。その思いは日に日に強くなった。
『魔人ぶう』と呼ばれた過去の記憶を忘れたい。
もう、クラスメートにいじめられたくない。
ダイエットに成功して、8キロを減らした時に『容姿が人を変える』ということを身をもって体感していた。中学生には、整形手術はできない。だから二重まぶたにする『アイプチ』を始めた。
起きたらアイプチ。アイプチののりが外れそうになったら、そのまま重ねてアイプチをする。夜寝るときもアイプチ。
時に爪楊枝を使って二重まぶたの線を強くつけようとした。アイプチをしすぎたせいで、まぶたがタダレたように赤くなった。アイプチで二重まぶたを作り続けるには限界があった。それでも、二重まぶたになりたくてアイプチを使い続けた。中学校の頃から何年も使用してきた二重まぶたにするためのアイプチ。そして、大学生になる頃には分厚い一重まぶたに変化が見えてきた。
一重まぶたが『二重まぶた』に初めてなった日
顔がすっきりとしてむくんでいない日には、二重まぶたになる日が出てきた。それは1日に数時間起こるか起こらないかの二重まぶたの時間だった。それはとても幸福な時間だった。やった!ガッツポーズ。
しかし、二重まぶたで長くいることは出来ない。1度二重まぶたで会った人には、次回一重まぶたで会うのがとてつもなく嫌な気持ちになる。
『まぶたが違うだけで、別人みたい・・・』
アイプチによってうっすら二重まぶたの線はついた。でも、そこまで。一重まぶたが自然に二重まぶたになることはなかった。一重まぶたに戻ったり、二重まぶたに少しだけなったり、そんな日々だった。
まぶたが赤くタダレても、アイプチを手放すことは出来なかった。大学生になっても、まだ二重まぶたの美容整形手術については考えてなかった。なぜなら、両親は過干渉の傾向があり、加えて整形手術を許さない考えの持ち主だからだ。二重まぶたに整形したいなんて言ったらなんて言われるか・・・。美容整形するには両親の説得が必要だと考えると『整形手術には手を出せない』と思った。『一重まぶた』のコンプレックスは未だに消えない。
そして大学生になると、中学生の時のダイエットで負った『横ヘソ』へのコンプレックスがリアルにのしかかってきた。彼氏ができると、海・プールなど水着を着なければいけない場所が出てきたからだ。どうしよう、こんな横にのびきったおへそで、水着なんか着れないよう。。。わたしだって、夏を思い切り楽しみたいのに。
整形手術の失敗で一生消えない傷跡を作ってしまった
海やプールで水着を自信を持って着ることを諦めきれなかった。彼ができても、理由をつけて水着を着るのを避けていたのだ。二重まぶたの整形手術は、ばれずに黙っているのが難しいから、今まで考えなかった。
でも、ヘソの整形なら両親や彼・友人にも隠し通して綺麗な縦ヘソをてに入れられるかもしれない・・・!わたしは、その思いを強くしていった。
『自分でヘソは変えられない。美容整形の力を借りるしかない。』
そして、私は誰にも話さずにヘソ形成の整形手術をすることを決断した。横にのびたヘソを縦のきれいなヘソにしたかった。
しかし、綺麗な縦ヘソへの想いは整形の失敗という形で打ち砕かれた。
残酷な結果だった。私には、へそ形成の整形手術による術後の痛みと、手術の傷跡が残された。泣いた。悔しくて悲しかった。『縦へそにできますよ。』と言う医師を信じた自分を心底ばかだと思った。自信をもって水着を着るという夢は、今よりもっと遠くにいってしまった。一生消えないへその傷跡という代償の代わりに、教訓を得た。
美容整形クリニック・医師の選び方の教訓
美容整形クリニックを費用最優先で選ばない
医師の発言に多少でも疑う部分があるなら決断しない
医師の専門分野の経験について事前に調べる
私は、ヘソの整形手術の失敗からいくら教訓を得ても、それを活かす場所はないだろうと思った。もう美容整形なんてしない。そう固く誓ったからだ。
しかし、もう1つの大きなコンプレックス『一重まぶた』を『二重まぶた』にしたいという気持ちは強かった。コンプレックスを乗越えたいという気持ちが過去の整形失敗を活かす勇気をくれた。
やってしまって、良かったと思え
大学生の頃へそ形成の整形手術に失敗し、美容整形への信頼を失っていた。しかし、へそ形成の整形失敗から約7年後。二重まぶた整形をついに決断した。中学生の頃から15年間以上、アイプチに頼り二重まぶたになることを願ってきた。
15年もの間、自力で努力したが分厚い一重まぶたは『二重まぶた』になることはなかった。
この15年の間に人と話す時、まぶたを気にするクセが出来てしまった。たまに、頑張って二重まぶたにしようと目を見開いて話したり、まばたきが多い人がいるが、まさにそんな感じに挙動不審だったと思う。
日によっては二重まぶたになることもある為、以前にも増して『一重まぶた』が嫌いになっていた。二重まぶたになっている間は、一重まぶたに戻ることが怖くて仕方なかった。アイプチをしている人は、多くの人が経験している想いではないだろうか?一度二重まぶたの自分に慣れてくると、一重まぶたの自分が本当に醜くみえるのだ。
『いい加減、もう、この一重まぶたから抜け出したい!』
私は、二重まぶたになることを強く願った。もう傷ついた幼い少女でも、思春期の女の子でも、学生でもない。もうすぐ30歳だった。決断した。
『残りの自分の人生は自分で切り開こう。』
二重まぶたで容姿に自信が持てる可能性があるなら、人に何と言われても整形をしよう。ポール・アーデンの大好きな言葉を思い出した。
7年前に経験したヘソ形成の美容整形手術の失敗。教訓を活かす時が来た。そして、誓った。『次は、ぜったいに美容整形を成功させる』その為に私が出来る事はただ1つ。
『信頼できるクリニックと医師を見つける』ことだ。これに尽きる。
夢の二重まぶたが実現した
絶対に、二重まぶたの美容整形を成功させると心に誓った。その為の、美容整形クリニック選びを入念に行った。失敗は、許されない。
ネットで検索すると、二重まぶたの整形手術に失敗した画像が山ほどあって怖くなる。でも、大丈夫、きっと。信頼できる美容整形外科、自分にとっての名医さえ探すことができたら。
本当にしたくない経験だったけれど、へそ形成の整形手術を失敗したという貴重な経験を、活かす時は今しかない!
へそ形成の美容整形手術の傷跡から得た教訓
- 美容整形クリニックを費用最優先で選ばない
- 医師の発言に多少でも疑う部分があるなら決断しない
- 医師の二重まぶた整形手術の経験、症例を確認する
へそ形成の整形外科の時は、整形費用を最優先に考えていました。予算があって、その予算内でどうしても行いたかった。学生だったから、お金に余裕もなくて、貯金をなくなく切り崩しての、なけなしのお金だった。
でも、それで整形失敗しちゃあぁ、高くついたよね。
だから、費用最優先の選び方だけは絶対だめ。
美容整形クリニックを選ぶ基準は?
- 技術レベルが高そうに思えても情報が少ないクリニックは候補から外した
- ホームページが更新されてなさそうなクリニックは候補から外した
- 極端に高い価格設定をしているクリニックは候補から外した
- 極端に安い価格設定をしているクリニックは候補から外した
そして、候補に残った美容整形クリニックのカウンセリングに行きました。カウンセリングでは、2つのことを重視した。
二重まぶた整形クリニックのカウンセリングで重視したこと
1つ目は、クリニック・医師との相性。
技術に定評がある医師でも感性が合わなければ、そのクリニックは選ばなかった。
2つ目は、二重まぶた整形手術後の保証。
二重まぶた整形手術後の保証がないクリニック、曖昧なクリニックは選ばなかった。
どんなに良いという医師でも、任せられないと感じたら、その時点でNG。基本的には、元に戻せないことを行うのが整形手術です。切開法でなく埋没法を選べば、抜糸で元に戻すのは可能だけど・・・、まぁそういう問題じゃないよねってこと。
▼そして、相性の合う整形美容外科にたどり着いた
過去の整形失敗という経験を活かし、値段を優先にしないで、医師の経験を見ることにした。
そして、カウンセリングへ。
カウンセリングでも『出来ないことは出来ない』とはっきりと言われた。迷っているならやめた方がいい。そう言われた。
へそ形成の美容整形で担当した『できますよ』と出来ないことを軽々と言う医師とは明らかに異なっていた。
そして、二重まぶた整形手術を申し込んだ。埋没法。
切開法の方が確実に二重まぶたになれるけど、
何せ、家族に内緒。術後の腫れる時間、ダウンタイムが短いことがとても重要だった。
そして、念願の二重まぶたを手に入れた。
そう、二重まぶた整形手術は成功した。
本当に、諦めなくてよかった。
今、埋没法の二重まぶた整形手術をして丸3年経ちますが、元に戻ったりもしていません。
本当に本当に よかったと思う。